アベノミクスと企業化される大学

山田博文

定年間際の教員のつれづれの独り言におつきあい下さい。

「世界で一番、企業が活躍しやすい国」づくりを公約した安倍政権とその政策(アベノミクス)は、多方面で深刻な問題を引き起こしています。大学とて例外ではありません。目前の企業利益と商品化に直結する研究と教育が優先され、大学の根幹に関わる分野は切り捨てられます。

予算配分のあり方は、その国の社会のあり方を映し出す鏡です。日本の文教予算は、他国と比較して、どのような特徴を映し出しているのでしょうか。

わが国の文教予算は、「先進国クラブ」とよばれるOECD30数カ国の中でも劣悪な地位にあります。私的部門は高等教育の費用全体の65.6%を負担し、これはOECD平均の31.6%の2倍以上です。家計支出は高等教育に対する私費負担全体のうち79%を占めています。教育機関に対する公的支出のGDP比は、OECD加盟国のなかで最も低く、OECD平均が5.4%であるのに、日本は3.6%にすぎません(OECD図表で見る教育データ2013年版)。

少ない予算で大学が運営されると、大学の授業料がドイツ・フランスのように無料化の国と比較して、「教育の機会均等」(教育基本法第3条)の原則は実質的に踏みにじられ、学生もバイトに追いかけられます。文教予算の内訳も、企業利益と商品化に役立つように誘導されるので、教育内容は、現場で役立つ即戦力と現場体験が優先され、「平和で民主的な国家及び社会の形成者」を育成する本来の「教育の目的」(同法第1条)が損なわれます。

研究面では、基礎研究が切り捨てられます。そのうえ、かりに最先端の研究成果をあげても、研究者個人がそれを自由に学会で発表することは禁じられます。研究資金を提供したスポンサー企業の利益を損ない、「企業秘密」に抵触するからです。

大学の教職員にも、企業の論理が適用され、業績主義・成果主義が強要されます。教員の場合、手っ取り早く成果を上げるために、小さなテーマとすぐに結果が出るような研究が優先されるようになります。職員なら、いつも上司の評価を気にかけるようになり、国立大学では文科省に目を向けた大学経営が行われます。要するに大学の自治は破壊されます。

いま、日本の大学人と国民に問われているのは、アベノミクスという市場原理主義によって企業化される大学ではなく、文教予算を増額しつつ、本来の教育と研究を探求する大学を実現することのようですーーといったことが、つれづれなるままに、パソコンにむかひて、心にうつりゆくよしなし事の1つになっています。

(やまだ・ひろふみ)

(群馬大学教職員組合ニュース『ぐんだいタウン』2013年12月号)